2022

02.24

INTERVIEW

ポスターとの出会い / 中村至男

ポスターを認識した最初の記憶、若い頃に影響を受けた作品、自身がポスターと対峙したエピソードまで、「ポスターとの出会い」をテーマに、今回“POSTERS”に出品するグラフィックデザイナーの皆さんにお話を聞きました。

子どもの頃から映画やアニメが好きでした。小学4年生の時、住んでいた駅から渋谷まで電車が一本でつながり、映画は渋谷へ行くようになりました。当時お気に入りの映画館といえば東急文化会館(現ヒカリエ)の渋谷パンテオン。駅から見える巨大看板、カッコいいポスターに広いロビー、なんとも言えない独特の匂いが好きでした。大人になって気づきましたが、僕が好きだった映画館の匂いって、あれオフセットの印刷物の匂いだったんですね。それにちょっとコーラやポップコーンが混ざってる。
ポスター、チラシ、パンフレット、たくさんの印刷物と共に、映画館はまだ子どもだった僕の興味をどこまでも遠くへ連れて行ってくれました。

初めて買ったポスターは、映画「銀河鉄道 999」。パンテオンに併設されていたアニメショップで買いました。学級新聞で4コマ漫画を連載したり絵を描くのは好きだったのですが「999」の世界はこれまで見てきたモノの基準を一気に飛び超えるものでした。アニメでここまで描けるんだ!表現できるんだ!と人生が変わる衝撃を受けました。欲しかったポスターを部屋に貼り、青い宇宙やシルバーの文字に見とれていると、なにか自分の将来を想うような気持ちになったのを覚えています。ちょうど、汽車に乗る主人公に自分を重ねながら、世の中や表現への興味が芽生えた頃だと思います。

劇場版「銀河鉄道 999」ポスター(1979)

高校に入ると洋服やアイドルに興味がいき、しばらく絵に興味がなくなりましたが、進学の際やはり芸術系に行きたいと思い日芸(日本大学芸術学部)を受験しました。当時、糸井重里さんが司会をしていたNHKの「YOU」というトーク番組を毎週見ていて、世で活躍するたくさんの出演者に日芸出身者が多く、面白そうだと思ったからです。映画、放送、美術の3学科を受験し唯一受かった美術学科に行くことに。憧れの江古田キャンパスに通うことにになりましたが、まだ自分の進路なんて定まってなく、デザインも何もわかってない薄っぺらの大学生でした。

80年代後半、江古田への乗り換え駅だった池袋は、西武美術館やPARCO、美術書のアール・ヴィヴァンなど西武カルチャーが花開く絶頂期。街中に貼られた広告ポスターが時代の最先端としてキラキラ輝いていました。文化の発信地となっていた池袋は今よりもだいぶ尖がっていて、ちょっと怖いぐらいの雰囲気。JR改札を出ると、浅葉克己さんの「西武百貨店」、日比野克彦さん、タナカノリユキさんのアートに糸井重里さんのコピー、井上嗣也さんの「PARCO」など。気鋭のポスターたちをくぐり抜け西武池袋線に入ると、大貫卓也さんの「としまえん」が連貼りされている。駅を中心に最新のポスター表現が連鎖し爆発し、とにかく抜群にカッコよかった。まるで展覧会のような通学路を行くうちに、もう一刻も早く社会に出て働きたく、僕はデザイナーになろうと進路を決めていました。あの4年間の池袋ポスター体験は大学の単位に入れてもいいくらい特別なものでした。

としまえん「FLYING PIRATES」
「プール冷えてます」ポスター
大貫卓也(1986)
西武美術館「田中一光 デザインのクロスロード」展 ポスター 浅葉克己(1987)

大学卒業後は、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社、デザイン部に配属されCDジャケットや、広告などのデザインをすることになりました。90年代は音楽CD全盛期、米米クラブにドリカムにXに..挙げていったらキリがないぐらいヒット曲が連発し、いつも社内はお祭り騒ぎでした。同僚には、Central67 の木村豊さんやフィルムディレクターの牧鉄馬さんもいて、同世代の仲間たちからたくさんの刺激をもらいましたが、僕はあまり活躍できず、すぐに開発部に異動になります。新しい部所での野望と、デザイナーとしてちょっとした敗北感を持ちつつの異動でしたが、そこで運命的なプロジェクトや人々に出会うことになります。オーディションの企画、マンガ雑誌の立ち上げ、「明和電機」プロジェクト、佐藤雅彦さんと取り組んだPlayStationゲーム「I.Q」など。 企画開発という職種が性に合っていたのか、プロジェクトの過程として向かい合うデザインは、これまでとは全く違う目線を持つことができ、それは今でも自分の基礎と糧になっています。

「ソニー・ミュージックエンタテインメント主催 第3回アートアーティストオーディション」ポスター
中村至男(1994)写真:三橋純
前年に大賞を受賞した「明和電機」初登場ビジュアル。

同時に、自主的なデザイン活動もしていて、初めて制作したオリジナルポスターは、1995年サンパウロ美術館の展覧会への出品作です。TDC(東京タイプディレクターズクラブ)から誘っていただいた企画で「日本人」をテーマに日本のグラフィックデザイナーが参加した展覧会。佐藤卓さん、原研哉さん、澤田泰廣さんなど錚々たる大先輩たちの中で、めちゃくちゃ緊張して取り組んだことを思い出します。作品はB0版に人体パーツをレイアウトしたもの、当時思い切って買ったpower macintosh 8100を使い、会社から帰宅した夜中にイラストレーターでチクチクと作りました。理想的に線が引けるイラレが楽しくて、作品コンセプトを聞かれれば「人間のつくりは同じ、国境はないのです」などと、もっともらしく答えていましたが、きっと覚えたてのイラレで細かい作業をしたかっただけだと思います。

Close-up of Japan São Paulo Poster 中村至男(1995)
NY ADC 銀賞を受賞

現在はポスターの役割もずいぶん変わりましたが、どんなメディアでもビジュアルで作用をひねり出す職能において、デザイナーは変わらず面白い役を担っていると思います。
このたびの“POSTERS”では、望外に高品質の紙やプリントを使わせてもらえるので、物を所有するシンプルな喜びと、かつての僕がポスターやレコードジャケットに気持ちを重ねたように、見る人それぞれの機微を写すようなモノ になればいいなあと思います。

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