2022
03.05
INTERVIEW
ポスターとの出会い / 服部一成
ポスターを認識した最初の記憶、若い頃に影響を受けた作品、自身がポスターと対峙したエピソードまで、「ポスターとの出会い」をテーマに、今回“POSTERS”に出品するグラフィックデザイナーの皆さんにお話を聞きました。
僕が中学生のとき、4歳上の姉が石岡瑛子さんのパルコの広告「あゝ原点。」の車内吊りポスターをもらってきて部屋に貼っていました。それがポスターにまつわる最初の記憶かもしれない。まだ中学生だったので、作品がどうこうというよりは、ポスターを部屋に貼る行為自体がかっこよく感じて、姉に自分の分も頼んだりしていました。
横尾忠則さんのポスターを貼っていたときもありました。たしか高校生で、やはり姉が買ってきた横尾さんの作品集に付録のポスターがついていて、それをもらった。普通ならロックミュージシャンやアイドルのポスターを貼るような年頃ですから、よだれを垂らす女性のポスターを見て親はどう思っていたでしょうね(笑)。作品集の内容もおもしろくて、画家で評論家の谷川晃一さんの解説をわかった気になって読んでいました。
予備校や大学のころは、池袋が近かったので、パルコとか西武百貨店のポスターをよくもらっていました。パルコの階段の踊り場に、確実に人に見つからずにポスターをはがせるポイントもありました(笑)。特に好きだったのは、三省堂書店の柱に貼ってあったのを直談判してもらった、「戦場のメリークリスマス」のサントラのポスターです。井上嗣也さんのデザインで、ポラロイドで撮ったような画質の粗い坂本龍一さんの顔のアップの、顎が切れた独特 のトリミングが絶妙でかっこよかった。
当時はどういう広告なのかとかは全く考えてなくて、ただカッコイイかどうかの一点でポスターを眺めていました。 ただ、大量に印刷されたペラペラの紙なのに、なんとも言えない芸術性のようなものが混ざり込んでいる、そういうメディアの魅力というのは、漠然と認識していたように思います。
僕は美術関係のポスターをデザインする機会も多いですが、高校のころに見ていた原体験が、西武美術館のポスター。いつも田中一光さんがデザインしていて、一人のデザイナーが美術館の一連のポスターをデザインする、そういう仕事があるんだと思った。グラフィックデザイナーという仕事を意識した一つのきっかけです。
実際やってみると作家の作品とデザインの関係性が結構難しく、告知としての強さやユニークさも必要です。その中でわりとうまくできたかなと思っているのが、東京国立近代美術館の「ドイツ写真の現在」展のポスターです。ドイツの写真家10人を紹介する展示で、作家の名前だけでも必然的に文字が多くなります。それで作家名を大きく羅列しつつ、タイトルや作品の写真をパズルのように組んでみました。
自分自身の作品として作ったものでは、凸版印刷の企画の「グラフィックトライアル」に参加して制作した旗のポスターのシリーズがあります。ポスター制作を通じて新しい印刷表現を探る企画として今も続いていて、オフセット印刷ならば多色刷りでも特殊インクでもどんな要望も凸版印刷が応えてくれるという贅沢なものです。でも、僕がかつて在籍していたライトパブリシティでは、紙とか印刷に凝るのはダメなデザイナーがやることだ、という感じでした。よい写真とよいコピーをよいデザインでまとめれば、あとは普通の紙に普通の印刷でいい、それ以上は無駄でかっこ悪い、という感じ。ライト育ちの僕としては、いくらでも手間をかけていいと言われると少し困ってしまう。できるだけ普段と変わらない印刷のまま、新しい印刷の表現ができないかを考えました。
最終的にはオフセット印刷の基本の CMYK4色の網点を直線に置き換えて、それらが水平、垂直、斜め 45度で交差することで色面を形づくる作品をつくりました。実ははじめはそれを手書きの線で表現しようとしていました。版画のようなテクスチャーのあるものになるんじゃないかと考えていたのです。パソコンでレイアウトしたものを手書きでトレースしていったのですが、手書きの線がヨレヨレ、ジメジメした情けないものに見えて、入稿の直前に急遽下書きだったパソコンによるレイアウトを採用した経緯があります。
これはひとつの表現方法を発明したような気持ちになって、半年後の個展ではモチーフをケーキに変えて制作しました。ポスターとして伝える具体的なメッセージはありません。旗にもケーキにも意味はありませんが、この手法との表現上の相性が良いモチーフとして考えました。三色旗は色がテーマの作品に合うし、直線でできた画面にゆらゆら揺れる曲線が入るのがいい。ケーキは立体的なモチーフへの展開です。主題があってそれを表現する手段が印刷だとすると、この作品は主題と手段が逆転していて、平行線の重なりによる印刷そのものが主題で、そのために旗やケーキを手段として用いている、そういう作品だと思います。