2022
02.17
INTERVIEW
ポスターとの出会い / 髙田 唯
ポスターを認識した最初の記憶、若い頃に影響を受けた作品、自身がポスターと対峙したエピソードまで、「ポスターとの出会い」をテーマに、今回“POSTERS”に出品するグラフィックデザイナーの皆さんにお話を聞きました。
桑沢に通っていた学生の頃、ggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で日宣美の展覧会があったんです。1950年〜70年代、高度経済成長期の日本のグラフィックデザインの全体を見渡せるような内容で、衝撃を受けました。当時佐藤可士和さんやヒロ杉山さんがスターで、そういった方面への憧れももちろんあったのですが、日宣美の時代のエネルギーにやられてしまって。写真植字やシルクスクリーンのどこか人の手を感じられるような温度感も好きで、自分はこっちの方向性だなと思いました。
僕は夜間部に通っていたので、昼間は田中一光デザイン室でアルバイトをしていました。ビルの地下に保管されている作品を日々コソコソ見ては、タイポグラフィや色面のポスターにときめいていましたね。
文字がとにかく好きで、モンセンの清刷集を見ては、なんでこんな美しい文字があるのにフォントにないんだよ!と思いながら、スキャニングして課題で使ったり、プレゼンボードのタイトルに用いたりしていました。作品自体もそうですが見せ方にもこだわっていましたね。友達と写植文字のフォントを突き止めて「あれは岩田母型というフォントらしい」とか(笑)。完全に文字オタクでした。
海外の作品も好きで、バウハウスもノイエ・グラーフィクもロシア・アバンギャルドも挙げていくとキリがないですが、gggの「オルト・アイヒャー展」のポスターは今見てもうっとりしてしまいます。アイヒャーの作品を使った矢萩喜從郎さんのデザインですが、色のきれいさ、間の取り方、タイポグラフィの置き具合など、なんとも言えない心地よさがあって、見るたびになんて“目にいい”ポスターなんだと思います。
僕の作品はどこか懐かしさがあるよねと言われることも多いのですが、それはお話してきたような時代のデザインに根っこがあるからかもしれません。実際、写植の文字を自分の作品でも使いますし、さすがに手づくりで版下をつくったことはありませんが、写植屋さんに組んでもらった文字をデータで送ってもらい、パソコン上で調整したりしています。
2016年に開催されたジョルジョ・モランディの展覧会のポスターもその一つです。文字はすべて写植文字ですが、よく見ると角が丸くなっていたり、線が少しウネウネしていたり、数字も四角に近い形だったり、パソコンのフォントでは表現できない味わいがあります。写植屋さんのタイピングする人によるところも大きく、文字組みも完全に垂直水平ではなくちょっと歪なところがあったりもしますが、そうした微妙な誤差やズレはむしろウェルカムで楽しんでいます。
メインのビジュアルに選んだのは、モランディの極端に左側に寄った静物画です。なんでそんなにギリギリまで寄せたのか気になってしょうがないし、モランディのそういうところも好きなんです。だから文字の入れ方は、真似して思いっきり右に寄せました。余ったところは、全体のバランスを崩さないように、モランディらしい色面を広げています。
僕はこういう、なぜ?と感じるような引っかかりに惹かれます。妙なレイアウトだったり、ちょっとしたテクスチュアの遊びだったり。作品のどこかに、予定調和でない少し気持ちをザワザワさせるような部分をつくることを、常に意識していますね。