2022

02.17

INTERVIEW

ポスターとの出会い / 渡邉良重

ポスターを認識した最初の記憶、若い頃に影響を受けた作品、自身がポスターと対峙したエピソードまで、「ポスターとの出会い」をテーマに、今回“POSTERS”に出品するグラフィックデザイナーの皆さんにお話を聞きました。

初めて自分で買ったデザインの本は、山口大学在学中に本屋で出会ったアイデア別冊の「ブルノ・グラフィックデザイン・ビエンナーレ」。私は教育学部(中学校教員養成美術)だったので、油絵も陶芸、版画、時にはモビールのようなものをつくることなど一通りやっていましたが、デザインを専門的には勉強していませんでした。ただ絵を描くことはずっと好きで、この本に出会ったときは、うわーという気持ちになって、当時4,500円もしたのに買いました(ひと月の家賃が12,000円でした)。その頃は詳しくわかっていませんでしたが、チェコのブルノで開催されてきた展覧会の作品が載っていました。広告というよりは各作家が自由なテーマで作品を出品しており、イラストを使ったものも多かったのが惹かれた理由だと思います。どれか一つがすごく好きとかではなく、パラパラとめくりながら色々素敵だなと思っていました。


「アイデア別冊 ブルノ・グラフィックデザイン・ビエンナーレ」美術出版社(1981)

大学卒業後、私は学校の先生にはならずに、デザイナーになると決めて上京しました。最初に就職した会社の社員旅行で益子に行った帰りに、つくば写真美術館(現在は閉館)に寄りました。そこで見たのが、写真雑誌zoomのポスター。かっこ良いなと印象に残りました。その後、これらの作品がコマーシャル・フォトに載っていて、クレジットに「宮田識デザイン事務所」とあったんです。そこで手紙を書いてみようと思い立ったのが、ドラフトに入ったきっかけです。

zoomポスター 宮田識デザイン事務所(1985)

ドラフトに入ってから色々なポスターの仕事に携わりましたが、中でも印象に残っているのはアンダーウエアブランド「une nana cool(ウンナナクール)」のポスターです。2001年からキギとしての独立もまたいで実に16年間、主に年2回(春夏・秋冬)ショップ内のイメージを変えるためのポスターを制作させていただきました。毎回植原と二人でアートディレクターを務め、いつもクライアントに見せる前に、私が描いた下絵で、クリエイテ ィブディレクターである宮田さんのチェックを受けていました。絵の方が案を通しやすかったから・・・。何年も描いているうちにだんだんと絵が上手くなりました(笑)。カメラマンさんが思った以上に忠実に撮ろうとしてくださるのがいつも不思議で、後日撮影してくれていたカメラマンの方に聞いたら、下絵がつくりこまれていてやりにくかったそうです。「写真にしなくてもイラストのままいけばいいのにと思っていた。下絵は下手なほうがいいんだよ」と言われました(笑)。
この「ぱん つう まる みえ」はウンナナに関わって2年目の仕事です。撮影日、東京の天気は雨。青空を求めて、ロケバスでいつの間にか福島までたどり着いて撮影しました。思ったように写真が撮れて、ウンナナの方向性を捉えるきっかけになった作品です。

ウンナナクールポスター ドラフト(2002)

2018年に亀倉雄策賞をいただいた時にも、影響を受けた作品や特に好きな作品はという質問を受けて、一つには絞れないと悩みました。結局そのとき行き着いたのは、どれか一つを選ぶなら、亀倉さんの東京五輪のポスターかなということ。あの日の丸のポスターを見ると、日本が好きということを実感します。五輪の記憶はさすがにありませんが、大阪万博のことはよく覚えています。小学4年生のとき、初めての家族旅行。山口から軽自動車に乗って、家族4人で見に行きました。日本がひとつになって五輪や万博に向かっていた時代。祝日には、山で切ってきた竹に国旗を吊るしていました。そんな記憶とともに、私にとっては日本を感じられる特別な作品です。

2020年にはヒロシマアピールズのポスターを制作しました。お話をいただいたときに、正直お引き受けするか迷いました。わたしがこのポスターを制作した時はまさに世界中がウイルスと戦い始めた時でした。そしてこの禍いは国家間の情報戦争や経済戦争に発展し、世界はますます複雑で多くの欲望が渦巻いていくだろうと思いました。この時世に、平和のポスターをつくって何の意味があるのかと考えてしまったんです。そんなとき、亀倉さんがヒロシマアピールズへの思いを述べられた言葉を知りました。その中の一部です。

「HIROSHIMA APPEALS ポスターは、あらゆる政治、思想、宗教を超えて純粋に中立の立場を守ってのみつくられるものである。 原爆の悲惨さだけリアルに突きつけたものや、公式的な反戦、平和の表現を避けて、新しい視点から平和ポスターの姿勢を探求したい。 美しさと品格がありながら、平和、反戦の祈りを込めたポスターこそが、広島市民の求めているものではなかろうかとJAGDA は考えている。 しかし、これに答えることは、デザイナーにとって、もっとも厳粛にして困難な戦いであると思う。」
出典:亀倉雄策「ひとひらの詩情とひとすじのドラマ」1985 年9 月5 日 より一部抜粋

文章が素晴らしく、少し反省もしながら、私なりにやってみようと思いました。平和を祈るポスターというよりも、このような状況下でも強く生きる少女の顔を描こうと思いました。普段人を描くときは、日本人とか外国人とか国を意識すると生っぽくなってしまうので、どこの国の人かわからないぐらいの方が好みです。ただこのポスターだけは違って、日本を意識せざるを得ない。日本の少女を描きたいと思って描いた作品です。

ヒロシマアピールズ 渡邉良重(2020)

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